【ミニマリスト】記念日のプレゼントはいらない

カップル

どうも、たか (@takamos_couple) です。

たかもすは付き合ってからもうすぐ2年が経つカップルです。

そんな僕たちですが、記念日にプレゼントを渡すという慣例を廃止しています。

今回の記事は、僕たちがなぜプレゼントを廃止したのかについてまとめました!

そして、この記事を読んでくださる優しい皆さんに一つお願いがあります。

「こいつ面倒くせえ人間だな」って思うでしょうが、温かい気持ちで読んでくださると嬉しいです😥

それでは行きましょう!

定期プレゼント廃止に至った流れ

プレゼントに対する義務感

全ての発端はこれでした。

もすの誕生日を1か月後に控えたある日に、こう考えている自分がいました。

「そろそろ誕生日だから誕プレ考えないとな、、、もすからもらったプレゼントが何円だったからこれぐらいの予算にして、、、」

この時、自分の内側に、強い違和感が走ったことを覚えています。

プレゼントって、相手が喜ぶところや、助かっているところを見たいからあげるものであって、

義務感にかられてあげるものではないな。

という思いが生まれていきました。

あの~なんだろう、それってただの商戦ですよね?

そういう思いが生まれると、それを正当化したくなるのが人間です。

誕生日だから、クリスマスだから、バレンタインだから相手にプレゼントをあげる。

その論理はどこから来たの?っていう疑問が生まれます。

皆さんならどう答えますかね?

僕は行きついた結論は、「商戦に踊らされている。」でした。

「パートナーへの感謝を示すために~をあげましょう」って宣伝して、こちらの購買意欲を煽るばかりか、

近年ではパートナーにプレゼントを買うのは当然で、買わない人間は冷たい人間のように見られてすらいます。

僕は常日頃からパートナーには感謝を示すべきであって、記念日に特別にモノをあげて感謝を示すというのは果たして必須なんだろうか?

って思っちゃうんですけどね。

僕にはほしいものが特にない

そして、僕にはほしいものが特にありません。

かつて、もすからの誕生日に、お高めの腕時計をもらいましたが、

あまり感動はありませんでした。

でも喜んでいるふりをしなければならないという、一種の責任感にかられたのを覚えています。

正直貰ったものであっても、気に入らなかったら捨てたいと思うタイプです。

これは多分、もすも似たような考え方だと思います。

果てのない自己欺瞞

何故特にほしくもないものを貰って、気を遣って喜んで、

気の乗らないままに、お返しに同額くらいのものを買わなければならないんでしょうか?

これが分からないんですよね。

僕は結局、「プレゼントをもらってうれしいし、モノをあげて相手が喜んでいるのを見るのが嬉しい」と、

自分に言い聞かせているだけだったのです。

こうした思いをもすに打ち明け、

もすの誕生日の1か月後、話し合いの末にプレゼント制度の廃止に至りました。

モノはヒトを成長させないし、支えもしない

もすにはたかがいるし、たかにはもすがいる

僕の好きなサッカー選手にズラタン・イブラヒモビッチという選手がいます。

彼は記者に、「奥さんに誕生日プレゼントはあげますか?」と聞かれて、

ない。彼女にはズラタンがいる。」と答えていました。

僕はこういうことを言える人間になりたいし、もすにもなってほしい。

誕生日プレゼントがもらえなくても、もすに失望なんかしないし、

だったら自分のために投資して、成長してくれた方が僕にとっては刺激になって嬉しい。

モノを貰っても人は変わらないけど、経験・努力に投資すれば否応なしに人が変わっていきます。

僕はこうして近しい人間が成長していく姿を見るほうが、

プレゼントよりもよっぽどうれしいです。

じゃあ、何もあげないのか?

じゃあ、今は誕生日には何もあげないのかというと、そうではありません。

もっと価値のあるものを送り合っています。

相手に対する気持ちを綴った手紙です。

正直言って、高い腕時計よりも、手紙一枚の方が嬉しいです。

あなたが辛い時、モノが支えになってくれるでしょうか?

自分を思ってくれる人の存在、言葉が、一番支えになります。

これは間違いない。

記念日って、モノがなくてもいいんじゃないですかね?

まとめ

以上、プレゼント廃止に至った理由でした。

なんか、ただ僕の考えを書きなぐっただけのような記事になってしまい、楽しんでくれたのか少し不安になっている自分がいますが、

一人でも共感してくれる方がいたのなら、書いた甲斐があったってもんです。

それでは!

▼プレゼントも、本当はやらなくてもいい

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