ときめくモノすら手放した話

ミニマリズム

こんにちは、ミニマリストのもす (@takamos_couple )です!

先日こんなツイートをしました。

今日はこの靴と、私にまつわる話について、好き勝手に書き殴りました。

文字が多いのでモバイルデータ使用料が気になる人におすすめです。

運命的な出会い

古着屋で見つけた

2018年の夏。帰省した地元で趣味の古着屋めぐりをしていたときのこと。

靴コーナーに向かい、棚を一段一段、横へ滑らせていた目がふと止まった。

イタリアのブランドの、中古のローファーだった。

メイドインイタリー、紫がかったような、ブラウンのような黒に輝く革、美しいフォルム……すべてが私の好み、ストライクゾーンど真ん中だった。

そしてなによりサイズ……私の足は平均よりも小さく、古着だとめったにジャストサイズは見つからないというのに、この靴は私の足にぴったりだった

どきん、どきんと鼓動が高鳴り、耳元で自分の脈を感じたのをはっきりと覚えている。

じゃあすぐに買ったんでしょ?とはいかず。

私は悩んだ末、購入を見送った。

中古で原価35000円の靴が4000円になっている理由だけでは買わない、私は当時ドがつくほどのケチだった。

しかし、店を出たあと、その晩、その次の日、帰省明けの飛行機の中……ふとしたときに脳裏にあのローファーを履いた自分が現れては、くるくると楽しそうに歩くのだった。

普段だったら、街中の服屋でちょっと気に入った服をあきらめてすぐ忘れることくらいよくあるというのに。

はじめて手に入れそびれた靴。

半年もの間忘れられなかった。

購入まで半年

その年の冬、帰省して真っ先に行ったのはおばあちゃん家ではなく(おばあちゃんごめん)古着屋だった。

半年も経ってるし、あんなに可愛い靴が4000円という安値で売っていたら全人類がほおっておかないだろうし無いだろうな……と半ばあきらめながら入店。

あった。しかも、3000円になっていた。

駐車場で一服していた母のもとへ叫びながら走った。

もす
もす

おかあさんおかあさんあの靴あったよ!

しかも値下げされて3000円になってる!!

絶対ないと思ってた!!ハワアアア

はやくきてはやくきて!!フウフウ

おかんかも
おかんかも

落ち着きなさい

鼻息は荒く顔真っ赤だった私の会計を担当してくれた店員さん、ありがとうございました。

その時の空

華の女子大学生ですから

カワイイコーデのために

半年の遠距離恋愛(?)を経てやっと手に入ったローファー。

裏張りも張り替え、ヒモも新しく細いタイプにして、靴はますます可愛く、実用的になっていった。

大学に履いていっちゃおう。

そう決めた前日はひとりファッションパーティで大盛り上がりだった。

紺のワンピースに、白い靴下に、ショルダーバッグで合わせよう。

教科書はおいていってしまえ。

お気に入りのエトヴォスのリップと、ヴィセのアイシャドウ、普段つけないマスカラでバチバチに決めよう。

念入りに洗顔、化粧水、パックをして就寝。なかなか寝付けなかったと思う。

次の日の朝、超ご機嫌で支度を終え、いよいよ靴に足をそっと入れる。

そっと。

そっと……。

グッ!!!!!

と力を入れて履いた。

夏に試着したときは靴下薄かったもんな。

今は冬で少し厚手の靴下やし、こんなもんやろ。そう言い聞かせた。

立ち上がってみる。10 cmヒールは思ったよりも歩き心地は悪くなかった。

信号待ちのたびに目線を下に向けるだけで幸せな気持ちになった。

授業中も机の下しか見てなかったから内容は覚えてない。

帰宅。はあ~~久々のヒールはやっぱり疲れるぞ。

ずぽん、と靴を引っ張って脱いだ。

靴下の指部分が真っ赤に染まっていた。

かも
かも

ヒェ…………

おしゃれはガマン!

とは言ったものの、そんなエピソード、女の子にとっては珍しくもなんともない。

おしゃれは我慢なのだ。

小学4年生まで愛読していたりぼんにそう書いてあった気がする。

ふだんは歩きやすいスニーカーや履きやすいブーツを履いて、“いざ”というときのために綺麗にしまっておこう。

だって、片付け本にも書いてあるらしいし。ときめくモノを残しましょう、って。

ミニマリストに転身

断捨離

2020年、コロナの影響でまったく大学に入れなくなった。研究も完全にストップ。

教授や先輩の目がなければ私なんてただのグータラ学生だった。

同じ研究室の、同じグータラ学生の恋人と、いろんなことを軽はずみにチャレンジしはじめたのはこの時期だった。

そして、彼が一冊の本を読んで言った。

たか
たか

俺、ミニマリストになる!

それを聞いて最初の感想は

もす
もす

この人は本当に影響を受けやすいなあ……

だったのに、結局私も後を追ってミニマリストの道に進んだのだった。

▼ミニマリストのバイブル

この話はまた別にするとして、最初の断捨離でわたしは自分の部屋の9割くらいのものを手放した。

100%の必要と100%のときめきをもとに選別を繰り返し、あの靴の番がきた。

問答無用のYES。なぜなら、可愛くてときめくから

思えば、「残したからには履かないと」と感じたときにもう答えは出ていたのかもしれない。

数回履くものの

痛い、痛い、痛い!!!

靴下が厚かろうが薄かろうが、インソールを入れようが、ばんそうこうを張ろうが痛いったらありゃしない!

田舎娘の私はようやく気付いた。10cmヒールは、歩く用の靴じゃない。

歩く用ではない靴、というものがあるのを初めて思い知った。

それに対して私は、散歩大好き人間、チャリもよく乗る、美術館やウィンドウショッピングが好きだけど、高級っぽいお店よりも汚い定食屋が好きな大学生だった。

完全にミスマッチだ。手放そうか?でも、ときめくしなあ……。

愛ではなく”執着”

それならば、履かないで観賞用にしよう!と玄関の棚に飾ったのはいつだったか。

外に出るたび、帰ってくるたびに目に入ってはときめくだろうと。

しかししばらくすると、それはお気に入りのピカピカの靴ではなく、私の足と同じ大きさで高さが20cmくらいある革のオブジェと化した。

棚の1/3の面積を占めていた

思い出した。

あの、出会ってから手に入れるまでに嫌になるほど脳裏に浮かんだのは、靴ではなくて靴を履いた自分だったことを。

私は靴が欲しかったんじゃなくて、素敵な靴を履いた自分に出会いたかったのだ。

靴をあきらめる、手放すことは、これを履いた素敵な、背筋がピンと伸びた自分になれる可能性を手放すことだと勘違いしていたらしい。

それに気づいたとき、私はこの靴に対する執着を捨てる決心をした。

今の私には必要ない。たとえときめく、かつて恋に落ちた靴でも。

ついに

メルカリに出品

2021年8月。断捨離をした。

とはいうもののチキンなので、お気に入りだった靴を燃えるゴミ袋にぶちこむことがどうしてもできなかった。

なので、メルカリに出品した。

同じブランドの靴の平均出品価格の1/3くらいの値段で出品したら、すぐに売れた。

ビニールで包んで、段ボールに並べてすきまにA4のコピー用紙を丸めてつめた。

コンビニで発送して、発送完了ボタンを押した。

受け取り連絡がきたので、評価とメッセージを入力した。

「ご購入ありがとうございました!」

靴は私の手元から、本当にあっけなく知らない女性の元へ旅立っていった。

それから

それ以降、その靴を思い出すことはない。

そもそも、この靴が素敵な場所に連れて行ってくれたことはないし、靴を褒められた覚えもないし、あまり外部的な思い出がない。

なんと、あんなに好きだったのに写真を探すのにとても苦労するほど、写真を全然撮ってなかったらしい。

さて、まあまあデカイオブジェが去った玄関の棚は、マスクを入れている容器のフタの上に財布を置かなくてよい、スッキリとした空間になった。

現在はマスク入れ、財布、お香立て、ハンカチ入れ。それだけ。

すっきり、きもちいい玄関

結局、ご機嫌でいられればそれでいい

ときめくモノだけ残せばいいという、片付けの方法は素晴らしい。

ミニマリストの必要最低限のモノだけを所有する生き方もストレスフリーで好きだ。

どちらも私の生活を変えてくれたありがたい先人の知恵だけど、結局自分がどんなモノを持つかを最終的に決めるのは自分しかいない。

残していても、手放しても、私は私のままだ。

モノで私の価値は変わらない。

あの靴を古着屋で見つけた私も、買わずに後悔しつづけた私も、成人のくせに靴を抱きしめた私も、手放す勇気が出し切れない私も、手放してケロッとしている私も、全部好きだ。

靴の出会いと別れだけで、こんな大事なことに気付けるなんて。

今はたかとコメダ珈琲があれば十分しあわせ

まとめ

最初はこんなエッセイっぽくするつもりはなかったんですけど、たぶん思い入れのあるモノの話だったからか熱くなってしまいました。

変な記事だなあ。まあいいか。自分たちのブログだし。

それでは!

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